2024-08-18

8/21から営業再開します!

こんにちは。今年のお盆は10日から3連休ということもあり、13日からの時期にお休みのお店もあったりして、お盆が分散された感じになっていますね。
突然のお休みでご迷惑おかけしました。今週17日営業予定でしたが、お休みさせていただきます。
21日(水)からいつも通り営業開始します。営業日、少し変更になっていますのでご確認ください。

8日、9日、17日とご来店予定の方には大変ご迷惑をおかけしました。

実は8日の営業が始まってから父が亡くなっていることがわかりました。一通り葬儀まで終えることができました。ありがとうございます。この後は色々な作業があるのですが、長期戦になりそうなのでまずは自分の仕事、日常に戻して合間合間でやっていこうと思っています。

今回は父に向けての手紙という意味も込めて、ここに書きたいと思っています。娘のちょっとしたたわごとになると思いますが、読んでいただけると幸いです。

父はいわゆる「ザ、昭和」的な人でした。お酒も好きで、たばこも好きで。いわゆる団塊の世代、戦後の生まれの人です。父が若いときは、今では「コンプラ」に引っ掛かりまくりの破天荒なこともする父でした。私から見るとちゃんと働く人ではあったのですが、お酒癖はあまりよくなく嫌な思い出もちょっとあったりします。

子どもや孫にはやさしい人でした。幼少期に可愛がってもらった思い出もあります。いまだに父に連れて行ってもらったSLのある広場の光景は鮮明に蘇ってきます。いったいどこだったのか、わからないのですが、SLとその広場の光景だけはなぜか記憶に残っているのです。
釣りが好きで、山菜取りもする人でした。たけのこやふき、落葉キノコは時期が来たら食べてましたし、釣ってきた魚も食べたりしました。ひるかいのカレーは全然好きじゃなかった記憶もあります。カレイのから揚げとかは食べてましたね。そいの刺身とか。

私は一人娘だったせいか、思春期になると父のほうが私との接し方がわからなかったのか、距離感ができたとは思いますが、それも一時のことだったと思います。
よく覚えているのが奥尻の地震の時です。母が夜勤で家にいなくて、兄も自立して家を出ていたので、父と二人で家にいたときに大きな揺れが来たのです。揺れはもちろん怖かったのですが、父がいてくれて安心した覚えがあります。

結構器用な人だったんですよね。私が教師になり、赴任したのが夕張市。教員住宅はお世辞にもきれいといえず。お風呂釜と浴槽がないという!びっくりな場所でした。その壁をきれいに塗ってくれたのが父でした。(のちにそこを半年で引越しし、父に文句を言われたのもいい思い出です)団地の壁紙も自分で張ったり、店の表のペンキの色も一生懸命塗ってくれたのは父でした。
厚真の地震の次の日信号も止まっている中、わざわざ小樽から来て店の開店に向けて準備をしてくれたのも父です。「どうせ家にいてもやることないし。」といって準備をしてくれたのです。

父は長年タクシーの運転手をしていました。お客様にはそれなりのトークでいい顔をしていたようで、わりに成績もよかったようです。たまにお客様の話をするときにいい顔をしていたのも記憶に残ってます。遠足の時に偶然タクシーで出くわしたこともあった気がします。
10数年前にタクシー会社を退職してからは、サクランボの時期は1か月ほど手伝いに来てくれました。要領を得たら、ちょいと調子に乗るようでほかのバイトの人に声をかけたりと(笑)そんなこともしていたようです。

いろんなことを思い返しても、手先は器用な父でしたし、几帳面な人でしたが、家族に対しては不器用な人だったなと思うんです。昭和な人ですから、言葉で何かを言うわけではない。でもいつも家族のことは何らかの形で思っていた人だったんだとそう実感します。
いつも会ったり、家に様子を見に行ったり、電話が来ると「しっちゃん、元気か?」に始まり、「事故るなよ、車に気をつけろよ。」だったり「体大事にすれよ。」と結んで終わったものです。
「別話すことない。」とか「用事ないから切るぞ。」なんて言う人でしたが、はじめと終わりはいつもそんな言葉で終わる父だったんです。

そんな父との最期はお別れが言えず、終わってしまいました。
「いままでありがとう。」
「なにもしてあげられなくてごめんね。」
「たくさんたくさんありがとう。」
他にもたくさん言いたいこと、聞きたいことあったのに。
何も言えずに終わってしまいました。別れが突然すぎて、もう父とは話すことはできないのはわかっているのに、まだ何とか最後に話はできないのかと思ってしまっている自分がいます。せめて夢にでも出てきてほしいのに、まだ出てきてはくれません。父と最後に交わした言葉は鮮明に思い出しますが、もっとできたことはあったのではないかと後悔ばかりです。

先日、夫の車に乗っていてサイドミラーを見たときに「父さんの顔とそっくりだな」と自分を見て思ったのです。そんな風に父を思い出したときに連絡をすればよかったのにと思ってももうどうにもできません。

今回、人との別れは本当に突然訪れてしまうということ。たらればはない。そう実感しました。
自分のできることはこれからの自分の人生を大事に、懸命に生きる。それに尽きるのかなと思っています。当たり前にいてくれると思っているものは、そうではない。何をしても後悔は残るかもしれませんが、思う限りのことは行動としてするべきなのかなと感じています。父が教えてくれたたくさんのことは、私の生き方の軸になっています。もちろん父のことは好きでしたし、今でも娘であることは変わりないと思っています。もちろん人は誰しもいずれ亡くなるものなのはわかってはいても、普段そのようなことを意識することはありません。その時々を一生懸命生きているわけですから。楽しいことだけじゃなく辛いことも多いですし。でも、一生辛いわけじゃない。暗闇の先には光が見える。そう思って大事に人生を生きたいと痛感しました。お父さん、本当にありがとう。

私はパン屋を始めて10月で丸6年になります。
食を通して、皆さんの日常が少しでもほっこり、笑顔になれるようにと思ってパンを提供しています。笑顔でよりそうパン屋、私にできることです。
開いている時間が短いのは申し訳ないですが、ちょっとしんどくなったら是非店に来てリラックスしていってください。何気ない一言二言を交わすだけで、ちょっと心が軽くなることがあるかもしれません。泣きながら食べるパンもあるかもしれません。それでも元気に生活ができていれば、何か少しでも前に進めることがあるかもしれません。その場にとどまってしまうことがあっても、エネルギーはためることはできるかもしれません。少しでもうちのお店に来てくれる人が心穏やかに、元気になってくれることを願います。そんな食べ物、時間を提供できるように頑張ります。父はうちのあんぱんとレーズンパンが好きでした。四十九日の週には父に食べてもらうためにあんぱんを焼きたいと思っています。

タイトル通り21日(水)から営業します。
ホームページもラインなども更新しておきますね。
来週21日からいつも通り、よろしくお願いします。

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